アドリアン・デュブーシェ国立博物館に展示されていた18世紀末(1780)にパリで絵付けされたカップ&ソーサー。復刻版を持っていて、思わぬ出会いにビックリ。
投稿日:2012年2月11日
10月9日(金)リモージュのアドリアン・デュブーシェ国立博物館を見学
市場を後にしてアドリアン・デュブーシェ国立博物館(Musée National Adrien Dubouché)に向かう。
モット広場からダルネ通り(Rue Darnet)を抜け、アイネ広場(Place d’Aine)と裁判所の横を進むと路線バスやトロリーバスのターミナル広場に出る。サン・スラン通り(Avenue Saint−Surin)沿いに目差す博物館がある。
18世紀前半のヨーロッパでは東洋の磁器は非常に貴重な財産で、王侯貴族は自分の財力を誇示する為に競って「磁器の間」を作った。ザクセン選帝公フリードリッヒ・アウグスト1世は、磁器蒐集が嵩じて国家事業として製造を目指す。ベットガーに磁器の製造を命じ、マイセンのアルブレヒト城に幽閉し遂に成功させた。悲しいかな特許制度は百年少しの歴史しかなく、磁器の製法は錬金術にも等しい秘法だったのだが簡単に漏れ出してしまう。程なくヨーロッパ各地の御庭窯で製造されるようになり、その後産業として発展する。
リモージュは古くから七宝焼き(Emailエマイユ)の産地として有名だったが、近くで磁器の原料のカオリンが発見され、1774年に最初の窯が作られると磁器の産地としても有名になった。
アドリアン・デュブーシェ国立博物館は、フランスの山の中の地方都市にある陶磁器専門の博物館で知名度は低いが、パリの国立陶磁器博物館(セーブル)と同じくらい重要な博物館で、ヨーロッパの陶磁器の歴史を全体的に捉えるにはとても役に立つと思う。
1.アドリアン・デュブーシェ国立博物館
アドリアン・デュブーシェ(1818−1881)はリモージュのワイン業者の一家に生まれ、義父のコニャック会社の共同経営で成功し、1862年には趣味の時間を持てるようになる。リモージュ考古学歴史博物館(1845年に創立)が再編成され、1865年に陶磁器博物館の館長に就任する。まず自身のコレクションを寄贈、1875年にアルベール・ジャックマール(Albert Jaquemart)のコレクション(600点)、1881年にポール・ガスノー(Paul Gasnault)のコレクション(1855点)を購入して寄贈する。博物館の充実とリモージュの磁器産業に対する彼の功績を讃えて国立博物館なのに個人名が付いている。
鉄の門をくぐると広い前庭があり、博物館は想像以上に立派な建物だった。
入り口の前で何人か立って待っていた。気にせずステップを上り、扉を開けて入ろうとしたが開かない。中にいた館員が近づいて来て扉を開けたので、入れてくれるのかと思ったら、2時まで3分あるから外で待つようにと言われた。
スペインに近いせいか、昼休みがあるようで、再開する2時まで全員外で待たされていたらしい。そう言えば、初日に訪れたパリのベルナルドのお店で、博物館にはお昼前に行かないと時間の無駄になると言われた事を思い出す。この時は、昼休みのために大したロスはなかったが、パリのセーブル博物館では計算外の暇つぶしをする羽目になる。
すぐに時間になったので扉の鍵が開けられ、中に入ることができた。
入口で気のいいおばさんの職員から入場券(4.50ユーロ)を買い、二階への階段の前にある受け付けにデイバッグを預ける。写真撮影はOKだと言うのでカメラは取り出す。イヤホーンガイドは無料だったが、日本語はなく英語のガイドを借りた。ところが、これが上手く動かない。取り替えるのも面倒なので音声ガイドなしで見学する事にした。
順路としては、一階の左側の展示室、ここでは陶器(Faïence)から硬質磁器(Porcelaine dure)が焼成されるまで、次に二階に上がるとヨーロッパ各地で焼かれた磁器の展示があり、最後に一階の右側の展示室で現代や地元の作品が見られるようになっていた。一巡すればヨーロッパの陶磁器の歴史が分かるような展示がされていた。
まず、一階左側の展示室に入る。一番奥にビデオコーナーがあり、磁器製造の工程を分かりやすく解説した20分位のビデオを流していた。周囲には、磁器の原料の石英、長石、カオリン(ヨーロッパではこの素材が見つからず真正磁器が出来なかった)、粉砕機の模型、粉末にした原料を水に溶かして出来た泥漿をプレスして素地のペーストを作る装置、窯の模型、図柄を印刷するプレス機や工具などの興味深い展示品が配置されていた。
2.窯の模型
焚口が六ヶ所ある耐火煉瓦製の窯の模型。実物は巨大で、高さ10メートルで100から120平方メートルあり、一度に10000ピースを1400度の高温で焼いた。
窯の模型の横にある三角錘の板はゼーゲルコーンと言って、温度によって順番に溶けて倒れるようになっているので、外から倒れ方を見て窯の中の温度を知る事ができる。
3.磁器焼成作業の流れ
日本の窯元のように職人が轆轤を使って同じ形を作るのではなく、型(モールド)を使って同じ形に成形する。
成形後、生地に含まれる水分を抜くために乾燥させる。十分に乾燥させた後、窯に入れ1000度近くで素焼きをする。その後、釉薬に浸け、再び窯に入れ1400度で本焼成すると、釉薬が溶けて表面がガラス質で覆われた真っ白い磁器が出来上がる。
写真の説明
左の皿:成形乾燥後、800度で焼かれた素焼き。
中の皿:釉薬をかけられた状態の素焼き。
右の皿:1400度で本焼成されると、表面に光沢を持つ硬質磁器になる。
4.絵付けの違いの展示
手前が皿の型(凹版)。これに素地を押し付けて型を取る。
絵付けの技法として、素焼きに直接装飾を施し、釉薬をかけて本焼成する事を下絵付け。本焼成した後に装飾を施し低温で焼いて定着させる事を上絵付け。釉薬をかけずに1400度で本焼成した物はビスキュイ(Biscuit)という。
下絵付けでは本焼成の高温に耐えられる顔料が少なく、呉須(ごす)と言われる酸化コバルトの顔料がよく使われている。出来上がった磁器は青花(日本では染付)と呼ばれ、白い生地に青色の意匠が良く合うので東洋では古くから好まれている。ヨーロッパでは多くの色を使った華やかな仕上がりになる上絵付けが好まれ発達する。
写真の説明
左の皿:説明書で隠れて絵付けが見えないが、上絵付けの例。ガラス質の上に顔料を置き、800〜1000度で焼く。
中の皿:下絵付けの例。素焼きに直接絵付けし、1300〜1400度で焼く。ガラス質でコーティングされているので、絵柄が剥げ落ちる事はない。
右の皿:ビスキュイ。堅いが磁器のような光沢はない。表面は何となくザラザラした感じ。
5.焼成による縮みの展示
型を使って半分ずつ作り、それを張り合わせて壺やポットを作っていたようだが、今は材料を均一に溶かせるようになり、鋳物の様に型に泥漿を流し込んで成形している。
写真は、型を開いて、左が素焼きの前で、右が本焼成後、大きさの違いを見せている。
カップやポットは、ハンドル、注ぎ口、蓋などパーツに分けて作られるので、予めそれぞれの収縮率を計算して、最初の型を作ってある。焼成による収縮率も2〜20%と様々らしい。
6.錫製の型板(Pochoirs en Etain)
御庭窯の時代は手書きだったのが、工場で量産する様になると、パターン化された装飾模様などは型板を使うようになる。
写真の見本の皿の模様と型板は同じではないようだが、小さなブーケが描かれている窓の部分を一番左の型板でマスキングし、リムを赤く発色する顔料で塗り潰し、その上から別の型板で細かいアラベスク模様の線を別の顔料で描くという手順だと思う。
顔料によってそれぞれ発色する温度が異なるので、高い温度で発色する顔料から塗る事になり、一番低い温度で焼かれる金が最後の仕上げになる。色数が多い程、何度も焼く事になり手間がかかる。
7.転写シールの印刷(プレス)機
写真は、たぶん石版(リトグラフ)の印刷(プレス)機。石版に様々な図柄を彫って顔料を塗り、その上に転写紙を置き、プレスすると石版の図柄が紙に印刷される。
19世紀になり民間企業として成長する為には、貴族に代わって台頭してきた新たな顧客層である富裕な市民の要望に応える商品を大量に安く供給する事が求められるようになる。磁器生産者は、絵画や複雑な絵柄を配した高級品をなるべく安く量産する方法として、転写の技法を開発する。
原画を特殊なシールの上に印刷し、台紙からそのシールを剥がし白い磁器に貼りつけて窯に入れるだけで、原画と同じ図柄が焼き付けられたお皿やカップが簡単に出来上がる。
写真のサンプルの皿は単色の風景画のようだが、様々な色のインクが開発されカラフルな原画の再現もできるようになった。
輸入洋食器売り場に並んでいるテーブルウエアーを良く見ると、値段に大きな開きがある事に気づくと思う。その主な理由は、絵柄の緻密さではなく絵付けが手書きかどうかの違いに由る。なので、高いなと思うカップやお皿を買う時は、裏返してみて手書きかどうかを確認する事が重要。手書きの場合は、「Décoré à la main」とか「Hand Painting」と書いてあり、ペインターのサインか記号があったりする。
窯元の売り場で経験したが、本焼成されただけで何も絵付けされていない白いカップが、すべてのモチーフに絵付けされ、最後に金彩を施されたフルデコレーションのカップになると、桁が増えて手が出ない額になっていた。
製造過程の展示を一通り見終わり、展示品を見る事にする。
カメラOKなので、展示しているコーヒーカップ類は全て撮影する事にする。
8.楽焼の茶碗
世界各地の焼物の中に日本の焼物の展示もあり、茶道のお道具の楽茶碗が並べられていた。
キャプションに依ると、アビランド家の一員でピカソやブラックと親交があった画家のFranck Burty−Havilandが1922年に寄贈したもの。
楽焼は陶器で、轆轤を使わず手捏(てづくね)で形を作り出す。形は不揃いで、意図的な図柄などの装飾もほとんどしないで、窯の中で起こる偶然に委ねる。シンメトリーを美の基準にする構築的な西洋磁器とは正反対に位置する焼物と言える。
偶然に焼物の表面にできた模様を、景色や事物に見立てて銘まで付ける茶道の審美眼は、きわめて現代的な鑑賞法で、ヨーロッパ的ではない新しい美を創造しようとしたピカソやブラックの友人が持っていた事は興味深かった。
9.柿右衛門様式のカップと受皿
コンデ公の窯として有名なシャンティー窯(1725年)で作られた柿右衛門様式をコピーした軟質磁器(Porcelain tendre)のカップ&ソーサー。ガスノーのコレクションでデュブーシェが1881に寄贈。
シャンティーはパリの郊外にあり、世界で最も美しい本と言われる「ベリー公のいとも豪華な時禱書」があるコンデ美術館にはシャンティー窯で作られた磁器が多く展示されているらしい。それに、シャンティー競馬場ではフランスダービーが行われるので、6月の第1日曜日に訪れたいと思っている。
シャンティー窯は、サン・クルー窯に次いでフランスで2番目の磁器窯で、熱心に柿右衛門のコピーを製作した。日本人の眼からは、マイセンの柿右衛門のコピーよりも良く出来た写しだと思う。
10.日本趣味の皿
ウエッジウッドが作った日本趣味(ジャポニズム)の皿。一見磁器の様に見えるが、実は陶器。白い釉薬をかけて磁器に見せかけている。
明治維新前の1867年購入となっているので、ウエッジウッドがボーンチャイナ(Bone China)を生産する前の製品。当時の英国では、磁器の原料のカオリンの入手が困難で、代わりに牛の骨灰を使ったので、ボーンチャイナと呼ばれる英国独特の磁器が生み出された。
左側の芸者の締太鼓のバチ捌きは良いが、右側の芸者が三味線に見える楽器を、琵琶の様に立てて、弓で弾いているのはいけません。周りの絵柄は多分、木瓜(ボケ)の花で、見込みの背景の垂れ下がっている花は藤?短冊に何やら字が書いてある。ゴッホの広重の模写は日本語としてちゃんと字が読めるが、これは意味不明の模様になっていて、異国情緒だけ。
二階を端から端まで、一階の右側の展示室も隈なく見て、展示品していたコーヒーカップ類は殆どカメラに収めたので200枚近くになった。キャプションもフレームに入れたのだが、至近撮影だったのでピンボケしていて読めない写真もあり、いまだに未整理の状態。
受付に使わなかったイヤホーンガイドを返し、デイバックを受け取る。
入口ホールのスーヴェニール・ショップを覗いたが、そそられるカップはなかったので何も買わなかった。そのかわりに、美術館の目録(19.50ユーロ)とヨーロッパの陶磁器産業の労働者の実情を書いた展示会目録(9.90ユーロ)の2冊を買う。
4時過ぎに博物館を後にする。
パリへ帰る電車は7時なので、もう少し街をブラブラ出来る時間があった。
続く。
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