肝炎発症から帰国までの10日間で、唯一撮った写真。
さぁ、ピラミッドを見ることが出来るのか??
っていうか、帰国出来るのか??
投稿日:2010年8月2日
写真が撮れなかったので、文章ばかり長くなっています。テキトーに斜め読みして下さい。
2回の旅を一度にアップしてあるので、ややこしいかも。
日本大使館の冷たい言葉に、ちょっとだけショックを受けたが「判った、自分で何とかする」。そう決意すると、かえって気が楽になった。肝炎であることは確実。私の貧しい知識では「肝臓に効く薬はない。とにかく休むこと」。
一応、ホテルに医者を呼んでもらった。呪い師かよ!みたいなヤツがやって来ると思っていたら、割と医者風の紳士(紳士風の医者??)がやって来た。ところがやたら血圧ばっかり計る。もしかして、その「日本製デジタル血圧計」を自慢したいのか?? 「疲れと風邪だね」って感じ。2-3日休めば治るよ。って言いながら処方箋を書いてくれた。
医者が書いてくれた処方箋は今もとってある。
ミ〜タ先生、いかがでしょうか?
旅行保険には入っていなかったが、支払いは1000円ちょっと。しかもその場で医者?に払った。過去に何回か途上国で医者の世話になったが、タダか1000円以下で済んでいる。ちなみに自宅の近所の獣医さんも、何でも1000円で診てくれるので大型犬が飼える。
1・2日目は食事もせずに、ひたすら寝ていた。頭が痛くないだけ二日酔いよりはいい。体調が悪いときには「がんばって寝る」。TVを見ながらとか本を読みながら・・・っていうのはとんでもない。とにかく目を閉じて瞑想状態にするのだ。手足も動かさない。体がベッドに吸い込まれて行く気がする。医者に貰った処方箋をホテルのスタッフに持たせて薬を買いに行かせる。それを飲むが直ぐに吐いてしまう。
3日目の朝、気分転換にレストランに朝食を取りに行く決心をする。そう、ベッドから降りるだけでも決心と気合が必要だ。最上階のレストランに辿り着くだけでHPの半分は使ってしまった。パンは食べられたが、バターとミルクは見ただけで「オェッ!」ってなりそう。オレンジジュースもちょっとだけ飲めた。帰りのエレベーターは、スーっと気が遠くなった。3日目の仕事はこれで終わり。後はひたすら「がんばって寝る」。
10何階だったか、私の部屋は裏通りに面していた。遥か下に屋台のフレッシュジュース屋さんが出ていて、リンゴジュースなら飲めそうな気がした。あそこまで飲みに行って行き倒れになったら困る。ところでエジプトにリンゴってあるの? スタッフに窓の下を指差して、リンゴジュースがあったら買って来る様に言ったら、缶入りのリンゴジュースを持って来た。ちょっと笑えて元気が出たかも。
4日目。ちょっと回復。29日だったかな?の成田行きの予約を早い日に変更した方がいいかな? 電話じゃ不安なので、スタッフにパキスタン航空のオフィスを聞いたら、なんと直ぐ近所、2ブロック先。よ〜し、歩いて行ってみよう。オフィスまで歩けない様なら飛行機には乗れないだろうから変更の必要はない。翌々日の席が取れた。この日はこれでHPを使い果たし、僅か500mの距離をタクシーで帰って「がんばって寝る」。食事は相変わらず体が受け付けない。
5日目。明日のフライトに備えて「がんばって寝る」。なんだか、手足まで黄色くなって来たぞ。
6日目。飛行機は18:30発。ホテルを15時にチェックアウト。6泊分を請求されたが「最終日はデイユースだろ」としっかり値切った・・・まだ生きてるぞ!。数日振りで腕時計をしたらブカブカ。もう1週間以上、食ってない。めまいはするが体調は意外と良い・・・っていうか「歩ける」。チェックインカウンターまでホテルのスタッフを借りよう?とも思ったが、ひとりで何とかなりそうだ。
さぁ、これで20時間後には日本だ!! そう思うと元気が出た。
ところが新たなる試練が始まったのだ。
このカラチ行きパキスタン航空はニューヨークから飛んで来る。これが4時間の遅れ。カイロ空港の待合室の床に横になって「がんばって寝る」。心配なのは、カラチで成田行きへの乗換えだ。出発時間を遅らせてくれないと乗り遅れるのは確実。で、案の定、カラチでは乗り換え出来なかった。航空会社の責任なので、無料で高級ホテルへ。食事も食べ放題なのに・・・食べられないじゃん。それより、早く日本に帰って病院に行きたいよ。
次の成田行きが何時飛ぶのか。それが満席だったどうなるのか? もう私には考える力が残っていなかった。もういいや、パキスタンで年を越すのもいい思い出になるさ。
ところが、ここで相部屋になったのが某国立大学の考古学教授。エジプトで発掘作業をしていて、年末の帰国の途中だ。この教授がインディージョーンズみたいでカッコいい50代の紳士。得たいの知れない?病気に罹っている「こ汚い私」に優しく接してくれた。「あんた、ここで諦めちゃダメだよ」。ここにいたんじゃ存在を忘れられる。とにかく明日は飛行場で待機しよう・・・と言う。私は「がんばって寝ていたかった」のだが。
さて、翌日の飛行場だ。空港は何やら大混乱。年末だしね。カウンターで聞いても今日の便は満員で乗れないと冷たい。何日の便に乗れるかも判らないという。そこへ偉そうな軍人様が「どうした日本人」。もしかして神の助け?? 教授の助手?の女性に「ここは泣いて頼んでよ!」と私。機転が利く彼女が泣きそうな顔で軍人様に懇願。
彼は私たち3人のチケットを持って何処かへ。5分もするとボーディングパスが3枚。そう、パキスタンにおいて「日本人女性」は最強なのだ。本当は空いてるんじゃないの・・・と思った機内は満席。我々3人が乗ったことで誰が降ろされたんだ?? インディージョーンズ教授と楽しい話で気分転換が出来たのか、成田までは順調に過ごせた。食事は受付なかったけど。
私は帰宅後、そのまま入院。体重は5kgも減っていた・・・究極の肝炎ダイエット。正月を病院で過ごし、入院時に600以上もあったGTPも、1ヵ月後には50以下にまで下がり退院した。ちょうど、タモリの「笑っていいとも」が始まった頃だ。エベレストの麓で、ちょっとだけ話をさせてもらった登山家の加藤保氏が、冬のエベレストで壮絶な死を遂げたニュースも病院のベッドで聞いた。
インディージョーンズ教授には帰国後にお礼の手紙を書いた。
私はこの年に結婚した。その後、何年かして子供と一緒に撮った写真年賀状をインディージョーンズ教授に出したら、「主人は風の様に逝ってしまいました・・・」っていうハガキが奥様から届いた。涙がぽろぽろ出た。神様が人の死をどうやって決めるのかは知らないが、これは絶対におかしい。
一番死にそうだった私は、今も時々旅を続けている。
カイロのホテルでの不安な日々も肝炎の苦しさも徐々に忘れつつある。発病から帰国するまでの約10日間、写真好きな私が撮ったのは1枚だけ。それが表紙の写真だ。カイロに着陸直前の飛行機から撮った。旅行中は毎日書いていた日記も、この間はほとんど書いてない。少しでも記憶が残っているうちに旅メモの「しおり」としてアップさせてもらった。
「旅が教えてくれたこと」なんていう大そうな表題を付けてしまったが、実は具体的に何を教わったのかは判らない。ただ自分や家族が健康であること、自由に旅行が出来る日本に生まれたことはもちろん、日々の生活に感謝できる様になった・・・気がする。何処かにも書いたが、訪問する国に「ちょっと旅行させて下さいね」って思える様になった・・・気がする。毛嫌いされる物貰いや乞食、「じゃぁ、自分が彼らの立場に置かれたら何が出来るのか?」っていう目で見れる様になった・・・気がする。
何てったって「謙虚になると旅は楽しい」。
何年か過ぎたある日。
「やっぱ、ピラミッドへ行かなきゃ・・・」と思った。リベンジだ。
既に二人の娘がいた。
「お父さんは、ピラミッドに行かなきゃならないんだ! お母さんと仲良く暮らせよ」
バックパッカーとして最後の旅に出た・・・って最近またやってるけど。
ピラミッドをゴールとしたが、あれ?それって意外と難しいじゃん。というのも飛行機でエジプトに入国すると「即、ピラミッド」なのだ。そこからルクソールやアスワンに向かうんじゃ、間が抜けてる。
で、考えたのがギリシア→トルコ→シリア→ヨルダン→イスラエル・・・そこからシナイ半島を縦断、先端から紅海を渡ってルクソールへ、そこからカイロに北上、ピラミッドがゴールっていう計画だ。終わってみたら過去最高のゴールデンルートだった・・・と思う。
まずはアエロフロートでアテネ。
好きな街、イスタンブールに4泊。
カッパドキアやネムルトダーも観光して、ウルファからシリアへ。
この国境も中立地帯を徒歩で行く・・・という素敵さ。
ヨルダンをひと回りしてイスラエルへ。
死海浮遊体験。
イスラエルは余り居心地が良くなかった。
再び国境を徒歩で越え、シナイ半島へ。
シナイ山など登って、シャルムエルシェイクからフェリー(漁船?)でハルダカへ。
ここからルクソールまでは、3人のドイツ人と2人のオーストラリア女性との旅。
日本を出て45日目でピラミッドに着いた。
これで終わるはずだった。
神様のいたずら。
カイロでは途中一緒に旅したドイツ人たちと「泊まるならホテルアングロサクソン」と約束していたので、そこに泊まった・・・安ホテルだ。驚いたことに・・・
安ホテルではキーホルダー代わりにいろんなモノが付いていることがある。
「え〜・・スフィンクスホテル??」 7年前に肝炎で死にそうになっていたホテルじゃん。なぜスフィンクスホテルのキーホールダーがここに?? 呼ばれてるな・・・。
もちろん行って来ました。
レストランでコーヒーを飲んで楽しかった?過去を思い出しました。
このリベンジの旅は1989年のことです。
カイロからロンドンに飛び、同級生の銀行マンの家に1週間。マドリッドで友人宅を訪ねて年末に帰国しました。2ヶ月掛かったかな。
この旅行を最後に、最近はパックツアーや手配旅行で楽しんでいます・・・・?
本日のお勧め動画。
http://www.youtube.com/v/r1P8qnBVfE0&hl=ja_JP&fs=1
奇跡! 泳ぐツチノコを捉えた!!
ツチノコのお尻が…!!
それにしても、読めば読むほど随分な体験ですね〜確かに人生で最悪な出来事に入りますよ^^;(3番目でしたっけ?)
「お母さんと仲良く暮せよ!」がツボでした(笑)ウチのおとんもこのタイプかも…
あざらしさん
家にはポケット版の医薬品集しかないからこの薬は良く分かりません。
1番上の薬はSpasmo何とかだから消化器の攣縮を抑えて痛みを軽減するものか?
1日3回2錠ずつ食前(これくらいは誰でも分かるか)
2番目の薬はストレプトマイシンに似ているから抗生剤?
これは1回1カプセル6時間毎、6時、12時、6時、12時。
以下省略。
それにしても良く無事に帰国できましたね。
点滴していないから脱水症状も心配ですね。
インディジョーンズ教授もまだ若かったでしょうに、
人の運命は何とも言えません。
旅が続けられる幸せを私も噛みしめないといけませんね。
ミ〜タさん
>あざらし様
何ごとも終わってしまえば「いい経験」。
そのときは必死ですけどね。
当時、自宅が仕事場でしたから朝から晩まで家にいました。休みも無く。
だからたまに出掛けるのは、妻も歓迎だったようです。
この頃まで、1-9月が仕事、10-12月が休み・・・なんていう生活でした。
ほいみさん
>ミ〜タ様
そうなんです。脱水症が怖くて水を飲むと戻す・・・の繰り返し。ビールも飲みたくありませんでした。
家に帰りたい・・・という気力ですか。
あの状態で日本から旅に出るのは無理です。
家には電話もしなかったので、黄色くなって帰って来た息子を見て母が驚いてました。
インディージョーンズ教授には励まされました。いつか九州の大学まで訪ねてみたいと思ってました。
旅が出来るっていうだけで恵まれてますね。
ほいみさん
なんだかホロリと胸にくる結末でしたね(感涙)
気力 イッパーーーーツ!!で必死になって成せる技と成せない技がありますが 運 というのもおおいに関係するような気がします。ほいみ様の行動力や強じんな性格は生まれつきのものなのか育った環境によるのかを知りたいものです。自己分析してみてください。私はもともと小心者(親の過保護が原因)ですが齢を重ねるほどさらに臆病になっている自分がわかります。
私の友人の娘さんが今日からたぶんツアーでエジプトへ行きます。なんかエジプトってみなさん結構行きたがりますよね。私もそのうちの一人だったけど・・・
ピャーズさん
>ピャーズ様
強靭なんてものとは縁がありません。
誰でもその場になれば何とかするものです。
インディージョーンズ教授は、まったく残念でした。教授と会わなかったら、パキスタンで入院お正月だったかもしれません。
エジプトの遺跡は確かに凄いです。それで食べているエジプト人はインド人より可愛くないですね。
万里の長城が凄いとか、マチュピチュが凄いとか聞きますが、やっぱピラミッドでしょ。あれを人間が造ったとするには無理があります。私は宇宙からゼネコンがやって来て造った・・・ってことで納得しました。
ほいみさん
旅って人生ですね。
教授もほいみさんもそして加藤保さんもその運命が重なり合って接点を持つんですよね。
きっと加藤さんにとっては最後に話した日本人だったことでしょう。
そしてほいみさんが今、旅に出たときに背中を押してくれているのかもしれません☆
一度そういう経験をすると人は人生観も大きく変わりますよね。
生きてるだけでもうけもんです。
私もその国の人々や暮らしや文化を感じられる旅が好きです。
だからあまりツアーには参加しない・・・。
って多分参加できない☆
ピラミッドはエジプト展でミイラ達から「来るな!」って言われたんで遠慮します(笑)
泳ぐつちのこ嬢、実は歩いてますね。
先日カナヅチ・つちのこ嬢の情報をいただいております(笑)
ころちゃんさん
>ころちゃん様
余りに当然のように、そこにあるのですが、ギザのピラミッドは人類が残した建造物の中では桁違いの大きさです。シンプルで圧倒的にデカい。これを造ったコスモゼネコンの末裔の一部(通称ビックマック)がアメリカを建国したと思ってます。
旅って人生みたいですが、人生は旅です。
実は「旅が教えてくれたこと」をアップした日は、残りの人生を決める大きな決断を迫られた日でもありました。東に向かう切符を手にしたのですが、こんな体験をしてなかったら「西に向かう切符」を手にしてたかもしれません。西へ向かうヒトの方が多かったからです。
さぁ、何処へ連れて行ってくれるやら。
ほいみさん
昨日の夜、読みました。シンミリシテ、つちのこ、吹き出ししました。ただ、夜中で怒られました。ツチノコの尾は、白い?旅は、いいですね。いろいろ、であいが あります。私はあるスイス人一家に、幸せ 運んだようで、ドイツ語しかできない、お婆さんにも、大歓迎されます。10月、母と行きます。
ヒルダさん
>ヒルダ様
この時期になると、バーニーはバーニーズウォータードッグになっています。
スイスに歓迎してくれる家族がいるなんて、羨ましいです。
ほいみさん
>Elly様
いいなぁ・・・Ellyさんは1年に10回は自分の幸せに感謝してるのでしょうね。
A型肝炎は一度罹ると免疫が出来ますから、Ellyさんもお早めに。
イスタンブールは77年と89年に行きましたが、良い街ですね。
ただ最近、トルコはセクハラが酷いとか聞いてますが。
ほいみさん
ほいみさま
川の水は飲まないように注意します。免疫は、できれば一生欲しくありません。セクハラは、面倒くさいです。面倒くさくない人が住む国はどこでしょうか?
Ellyさん
>Elly様
Elly山の場合「拾い食い」もしない様にして下さいね。
A型肝炎は、「マグロとかステーキを食べて、ごろごろしていなさい・・・」って医者に言われる「素敵な病気」でもあるんですよ。羨ましいでしょ。
>面倒くさくない人が住む国はどこでしょうか?
パプアニューギニアの山奥とか??
セクハラとか面倒臭いことなしに食べられちゃうかも。
ほいみさん
急性肝炎でGTPが1300あったことがあり
医者が大騒ぎをしてました、入院させられ、、安静を強要されました
高タンパクを摂取しながら、GTPが下がるのを待ちました
値は指数曲線のような下がり方でおち3週間ほど入院しました
それからすると600の値というのは1週間前だと倍の値だったと思います
それって、、、かなりきつい。。と思います
よくぞ。。 食べずに。。。 肝臓の劣化に耐えたなと思います。。
いやはや。。。 まいりました
>カフク・エビ男様
おお、義兄弟でしたか・・・今後ともよろしくお願いします。
医者も1000は軽く越えてたはず・・・って言ってましたが、その頃は、そんな数値の意味も分かりませんでした。確か正常値は40以下。株だったら大儲けですね、お互いに。
急性肝炎が発病した時の適切な対応を後から知ると、とんでもないことをしてた様な。あれって、本当に何も食べられなくなるんですよね。想い出しても気持ち悪い。正しく1週間続く二日酔い。
いやはや、参りました。
入院したら1週間くらいは毎日18時間は眠れました。
ほいみさん
ほいみさん、、、
死んでもおかしくない値ですよ。。。マジです。。。
点滴で肝臓を洗い、タンパク質で劣化している肝臓を補強するしか方法はないようです。。。
2度目はごめんこうむりたいもんです。。。絶対いやだ〜〜〜
>カフク・エビ男様
あれ? カフク・エビ男さんは「劇症肝炎」を体験なさったのでは??
劇症肝炎は致死率も高く、相当キツい様ですね。
A型肝炎は「最近だりーなぁ・・」で済んでしまう方もいるそうです。
私の場合、年末だったので「誰でも何でも受け入れてくれる」「でも、なかなか退院させてくれない」「地元では悪名高き」病院に緊急入院となりました。世間の噂を証明する入院生活はドキドキでした。最後は脱出する感じで退院しました。この話の方が面白そうですが、ここじゃ不味いですね。
ほいみさん
私の場合は急性肝炎です
会社の健康診断の日に発覚しました
お酒はまったく欲しくなかったのですが、食欲は少しありました
おかしいと思っていましたが、会社の健康診断の2時間後に会社の病院へよびだしがかかり、そのまま3週間入院しました
ウイルスとか疑われましたが、、原因不明(おそらく飲みすぎ?からかも)
その後数年後に、肝炎の抗体が出来てました
入院したときには抗体がなかったので、急性肝炎後に肝炎になったようです
そちらは気が付きませんでした、、、
ですが GTPが1300の時は上がっている値か、下がっている値かで大問題になりました
下がっている値だったので、セーフでした。。 いやはやです
>カフク・エビ男様
当時、一般人の知識では、肝炎にはA型・B型・慢性型しかなく、C・D型は最近の登場。っていうほど分かり難いものだったようです。A型は食物や水から感染、B型は輸血や性交渉で感染。B型は完治に時間が掛かり、慢性型に移行することがある。と、あったような。
私の場合、即個室に隔離、ベッドには重症患者を示す赤いリボンがありました。
そのくせ、翌日には盲腸の患者と間違えられ、危うく全身麻酔をされるところでした。
ここは、ハイジ・・・じゃない、ミ〜タ女史の出番か??
ほいみさん
ええ〜〜〜 全身麻酔一歩手前ですかあ。。。。
しかし、肝臓の病気ってのは、断酒の上、ただひたすら点滴と絶対安静、そして高タンパクだけの日々だったです。。。
断酒が一番つらい??? しかし 6kgやせましたが、、、1週間で戻しました
ビールの回復力のほうが、、すごい???
>カフク・エビ男様
危うく盲腸を取られちゃうところでした。
この病院、見舞いに来くれた友人たちが、口を揃えて「なんで、こんなところに・・・」と驚いてました。
1ヶ月経っても退院許可が出なかったので、信じ難いとは思いますが、脱走という手段を取り、入れ替わり知人が支払いに行きました。その1ヶ月間、看護婦さんしか来ませんでした。
禁酒は辛いですね。肝炎は1ヶ月で治りましたが、禁酒は半年。回復に向かう時の食欲はバーニー並でした。
ほいみさん
大変出遅れておりますデス。(陳謝)
私だったら帰って来られるかなぁ・・・とリアルに想像しながら
読みましたが・・・
無理だろー!という結論が出ました。。。
小川の水には十分気をつけるよーにしようと思いますデス。(笑)
で!↑脱走??どんなトコに入っちゃったんですかぁー!
リベンジの旅がめっちゃ大回り&カワイイお嬢様達お留守番ってトコは
大目に見るとして・・・
『謙虚になると旅は楽しい』
↑胸に刻みマス♪(笑)
お気楽母娘二人旅さん
>お気楽母娘二人旅様
今になって思うと「無理して帰る必要も無かったか・・・どうせ日本で入院だし」。エジプトでの入院生活も興味深いでしょ。イスラム国の看護婦さん・・・?
お気楽娘さんなら「白馬に乗った王子様」が迎えに来てくれます。「黄色くなった君も美しいよ」って。白馬に黄色・・・目玉焼きか?
帰国したのが12月28日だったかな。近所の病院に行ったら、年末だから入院患者は取らない。「○○病院なら入院で出来るけど・・・どう?」、って「お願いします」って言うしかないじゃんね。それよりも「入院したら退院させてくれない病院」の噂は後から知りました。冗談かと思ったら本当だったんですねぇ。この入院生活を日記にした方が楽しいかも。
私も、お気楽娘さんの様に謙虚になることを目指します。
ほいみさん
「入院したら退院させてくれない病院」この手の噂は全国的にあるんですね。うちの近所のHPもなかなか患者を離してくれないです。おかげさまで母は1週間限定の救急HPなのに5カ月入院させてもらって転院したHPは二度と退院できなんだ(アハ)
動物HPもせこい噂よく耳にします。医者によって値段の差 ありすぎでしたわ。
ムスリムのナース 興味しんしんだわ。黒い布でほうかむりしたままだと黒衣の天使(クスッ)入院すればよかったのに・・・
ピャーズさん
>ピャーズ様
今だったら、あんな病院、悪い噂(真実?)がネット上に飛び交ってしまいます。入院時には「そんなバカな話・・・」って思いましたが、えげつなく真実でした。
1000円獣医さん、そんなだから貧乏してます。奥さんには逃げれるし。
ほいみさん
久しぶりに見たら、まだかけますな。A型は、食中毒の酷いので、済みます。Bは、劇症肝炎で、いまは、肝臓移植ですね。Cは肝がんと・・・。御無事で何よりです。ただ私たちの年齢は、Cの心配がある…。ほいみさんは、OKだろな…。検査されてるはず。年寄りのため息・・・。
ヒルダさん
>ヒルダ様
C型肝炎の方って意外に多かったりしますね。
ネパールは肝炎もですが、未だに腸チフスに罹る旅行者もいるようです。
下水道が完備していないことも原因のひとつでしょうね。
ほいみさん
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